栄枯盛衰の物語を語り継ぐ山越えの道。人々の暮らし、のどかな自然の営みが息づく野の道、山辺の道。時が静かに流れる田園の里は歴史と文化の香るまち。
 伊香立は真野川上上流の丘陵一帯に広がるまち。地名の由来は、安曇川の筏流しの起点であったから、また、葛川を開いた相応和尚が同地を訪れた際、辺りに芳香が立ちのぼったところから伊香立としたという説がある。まちは、古来より京都と若狭を結ぶ間道を要していたところから、様々な栄枯盛衰のドラマを見続けてきた。のどかな田園のそこかしこには、往時を偲ばせる物語が秘かに息づいている。近年ホタルの里、香の里として脚光をあびつつある。
この地に生まれ、桓武天皇の後宮となった旅子は、大伴親王(淳和天皇)出産後2年で世を去った。死におよんで旅子が「故郷にある梛(なぎ)の木のたもとに埋めてほしい」との遺言を残したところから、再び故郷に帰ってきたとして神社の名がついたという。以来、無事帰還を願う社として人々の参拝するところとなった。

大津市伊香立途中町518
天智天皇6年(667)大津京遷都の際、随行してきた平群飛鳥真人(へぐりのあすかのまひと)が当地を賜り、天大吉備諸進命(あめのおおきびのもろすみのみこと)を勧請し祠ったのが始まり。後、後裔により、七柱の神が加えられ、八柱としたのが神社の名の起こり。

大津市伊香立下在地町1316
恩院周誉上人が応仁の乱を避け、一時寺基を移し、建立。例年9月第三日曜日には、鎌倉時代の絹本著色六道絵(重要文化財)などの寺宝が公開される。

大津市伊香立下在地町1160
江戸時代の文化元年(1804)龍家の祖先により、約40万年s前の東洋象の化石が発見された所。(現在、国立博物館にて保存)レプリカが北在地にあるリサイクルプラザに展示されている。

大津市伊香立南庄町
嵯峨天皇第十二皇子源融公(822-895)が当地に閑居を構えた時、一面の鏡を埋めた。後、伊香立の荘官が鏡を掘り出し、神爾とし創建した。

大津市伊香立南庄町1846
伊香立の昔懐かしい民家での生活の様子や農具・生活道具などが立体的に展示され、山間に営まれてきた農村の暮らしぶりを見ることが出来る。

大津市伊香立下在地町1223-1

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