堅田を出られた一休は、各地を巡り歩かれるわけですけど、詳しいことはあらためてということで、ここでは主な出来事だけを拾い書きさせてもろときます。
1437年
(永享5) |
40歳 |
後小松上皇に参じ仏法を説いて宝物を授かる。その後、上皇が亡くなる。 |
1440年
(永亨12) |
47歳 |
大徳寺で華叟和尚の十三回忌をいとなむ。この頃、放浪する一休は、大徳門の人たちの要請で山内の如意庵に住むが、その時の住持が嫌いな兄弟子の養叟であったところから、「住庵十日、意茫々たり、脚下の紅糸線甚だ流し。他日、君来って如し我を問わば、魚行、酒肆、又た淫坊」と書いた詩を壁に貼付けて、十日で出ていってしまう。 |
1442年
(嘉吉2) |
49歳 |
山城国譲羽山中の民家をし陀寺とする。 |
1455年
(康正1) |
62歳 |
『自戒集』を著わし、兄弟子養叟を批判する。 |
1456年
(康正2) |
63歳 |
山城国薪村(京都府京田辺市)の妙勝寺を修復し、大応国師の木造を安置する。
近くに酬恩庵を建てる。(翌年、蓮如本願寺第八世となる) |
1460年
(寛正1) |
67歳 |
大徳寺で華叟和尚三十三回忌をいとなむ。 |
1561年
(寛正2) |
68歳 |
本願寺でいとなまれた親鸞二百回忌で初めて蓮如(四十六歳)と会い
意気投合する。(翌年、蓮如が最初の「御文」を発する) |
1467年
(応仁1) |
74歳 |
応仁の乱をさけて酬恩庵で過ごすようになる。
(本願寺破却。蓮如、親鸞の御影を堅田の本福寺へ移す。翌年、堅田大責が起る) |
1468年
(応仁2) |
75歳 |
酬恩庵で森女と暮らしはじめる。 |
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